メッセージ  (説教より)
「創世記」


「苦難の時に答えてくださる神」     創世記35章1-26節

「シケムでの出来事」が創世記34章に記されています。ヤコブの娘ディナが土地の男シケム(地名と同じ)によって辱めを受けたことに対するディナの兄たち(ヤコブの息子たち)の恐ろしい報復行為が、記されています。
シケムの過ちは明らかですが、その後の、ディナとの結婚を願うシケムの熱意と誠実さは疑うことができません。それにもかかわらず、ディナの兄たちは偽りの策略をもって、「男たちをことごとく殺し」「町中を略奪した」のです(34章25〜29節)。
なぜ神はこのような暴虐をお許しになったのでしょうか。それは、そのような暴虐を通して、信仰者自身の罪深さを深く自覚させると共に、改めて信仰の原点に立ち返るべきことを学ばせるためだったのではないでしょうか。
「さあ、ベテルに上り、そこに住みなさい。そしてその地に、…あなたに現れた神のための祭壇を造りなさい」(35章1節)と神は言っておられます。それに応えてヤコブは、家族の者たちに「お前たちが身に着けている外国の神々を取り去り、身を清めて衣服を着替えなさい。さあ、これからベテルに上ろう。わたしはその地に、苦難の時わたしに答え、旅の間わたしと共にいてくださった神のために祭壇を造る」(2〜3節)と言っています。
ベテルとは、ヤコブが深い孤独の中で初めて神との出会いを経験した場所です(28章)。そこへ帰るのです。この世の生活の中で「身に着けた」神々を捨て去り、「身を清めて」信仰の原点に立ち返るのです。そのために、あのような悲惨な出来事を経験しなければならなかったのではないでしょうか。