メッセージ  (説教より)
「創世記」


「エサウとの再会」               創世記33章1-20節

 兄エサウとの再会を前に、深い恐れと不安の中で、ヤコブは神と格闘するように祈りました(32章23節以下)。どんな状況の中にあっても、神が共にいてくださるようにと、神のご臨在を祈り求めたのです。恐れと不安のただ中で、このような祈りを祈り抜くことができたところに、ヤコブの「勝利」があったのです。「ヤコブが目を上げると」(1節)という表現の中に、信仰の確信に満たされたヤコブの姿を見ることができます。
そして、思いを越えて寛大な態度でヤコブを迎え入れた兄エサウに対して「兄上のお顔は、わたしには神の御顔のように見えます。このわたしを温かく迎えてくださったのですから」(10節)と語る言葉の中に、神の御前に心砕かれた謙遜なヤコブの姿を見ることができます。このヤコブに対して、神は「万事が益となる」祝福をもって報いてくださったのです。
そしてヤコブは今や、神が共にいてくださる確信の中で、自立した信仰者としての歩みを始めるのです(12節以下)。「一緒に出かけよう。わたしが先導するから」と促すエサウに対して「子供たちはか弱く、わたしも羊や牛の子に乳を飲ませる世話をしなければなりません。群れは、一日でも無理に追い立てるとみな死んでしまいます。…僕におかまいなく先にお進みください。わたしは、ここにいる家畜や子供たちの歩みに合わせてゆっくり進み…」と言っています。誰も恐れる必要はない。何もこびる必要もない。与えられた生活の中で、神と共に、ゆっくりと、自分のペースで生きていく。そういう自立した信仰者として歩みを、今やヤコブは生き始めたのです。