メッセージ  (説教より)
「創世記」


「ヤコブの脱走」                 創世記 31章1-21節


 おじラバンの二人の娘(レアとラケル)と結婚し、20年間ラバンのもとで働き、最後はラバンのもとから脱走して、父イサクのいるカナンへと帰って行くヤコブでした。おじラバンのもとから「脱走する」とは不穏当なことですが、これもまたヤコブにふさわしい、と言わざるを得ないのではないでしょうか。兄エサウから長子の特権を奪い、父イサクをだまして祝福を受けることによって、兄エサウの怒りを買い、おじラバンのもとに逃れたヤコブは、今や再びおじラバンのもとから「脱走」しなければならなかったのです。
 多くの人間的な弱さや欠けをもつヤコブでした。決して力強い信仰に生きた人間ではありませんでした。この世のまことに人間臭い現実のただ中で、翻弄されるように生きたヤコブでした。しかし神は、そのヤコブをお見捨てにならず、「脱走」というきわどい現実の中でヤコブを助けられたのです。
 なぜ神は、これほどまでにヤコブをお守りになるのでしょうか。それは、神が御自身を証しする器としてヤコブを選ばれたからなのです。ヤコブを通して御自身の救いの真実を証ししようとされたからなのです。ヤコブがいなければ、この世にあって神を証しする人間がいなくなるからです。「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない」(創世記28章15節)と語られた神の約束の真実の故に、ヤコブは自らの貧しさと罪深い人間の現実のただ中にあって、不思議に守られて生きることができたのです。神の憐れみがヤコブを支えたのです。