メッセージ  (説教より)
「創世記」


「イサクの生涯」                 創世記26章1-25節


 アブラハムの子イサクのことが、創世記26章に記されています。イサクは、アブラハムにとって「約束の子」でした。神が、人の思いを越えて、必ず与えると約束してくださったことによって与えられた子供です。それにもかかわらず、イサクについて書かれた記事は大変少ないのです。
 しかし、その存在の尊さは記事の量によるのではないのかもしれません。イサクの最大の特徴は、イサクが「平和の子」であったということです。争いを好まず、問題が起これば、賢く身を引くすべを知っていたのです。
15節以下に、井戸を巡る争いが記されています。当時の砂漠の乾燥地帯に住む人々にとって、井戸は文字通り命にかかわる最重要問題でした。それにもかかわらず、そして正当な権利があるにもかかわらず、イサクは井戸を巡る争いから身を引き、別な地に移ってそこで新しい井戸を掘るという生き方を繰り返したのです。そして、その生き方が豊かに神に祝福されたのです。
人間的に見れば歯がゆく、なぜ堂々と自分の権利を主張しないのかと思うのですが、イサクはそのような生き方を良しとしたのです。そこに、イサクの深い信仰があったのではないでしょうか。井戸を巡って凄惨な争いをするより、静かに身を引いて、別な場所で生きる。そこに神が共にいてくださる。そういう神の恵みをイサクは知っていたのです。それ故に、そのような生き方が可能だったのです。主イエスは「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」と言われました。まことにイサクは、神の約束の子として生まれた「神の子」だったのです。