メッセージ  (説教より)
「創世記」


「長子の権利を守る」   創世記25章19-34節

 胎内に宿った双子が胎の中で争い合う現実に当惑したイサクの妻リベカに対して、神ヤーウェの言葉が語られました。「二つの国 民があなたの胎内に宿っており、二つの民があなたの腹の内で分かれ争っている。一つの民が他の民より強くなり、兄が弟に仕えるようになる。」(23節)と。
 この言葉は、信仰の戦いについて語っているのではないでしょうか。この世は神を認めない世です。神を信じないで生きることが、この世にあっては当たり前なのです。そういう世にあって、創造者なる神を信じ、御子イエス・キリストの救いを信じて生きることは、深い戦いを意味します。そういう世にあって、どんなに圧迫され深い誘惑を受けても、神を信じる者として「長子の権利」を守る者、即ち、神の子として生きる権利を守る者、その者こそ世にあって真の勝利者として、神の祝福の中に生きることができるのです。
 双子の兄弟エサウとヤコブが成長した時、二人の人生を二分する出来事が起こりました。疲れきって野原から帰って来たエサウが、弟やコブによってレンズ豆の煮物の代わりに「長子の権利」を譲ってほしいと求められた時(31節)、エサウは決してそれを認めてはならなかったのです。どんなに飢え渇き、煮物を食べたいと願っても、長子の権利と引き換えにすべきではなかったのです。ヤコブの行為は人間的にはフェアでないかもしれません。しかし、長子の権利が何よりも大切であると信じる信仰の故に、ヤコブは神に祝福されたのです。一杯の食のために「長子の権利を軽んじた」(34節)愚かさの故に、エサウは信仰の敗北者としての道を歩まざるを得なかったのです。