メッセージ  (説教より)
「ガラテアの信徒への手紙」






「御子の霊を受ける」     ガラテヤの信徒への手紙 4章1−7節

 新しい年を真に「新しく」生きる道は、主キリストの救いに日々「新しく」与って生きる以外にありません。
 神殿に上った幼子イエスの中に神の「救い」(ルカ福音書2章30節)を見出した老信仰者シメオンは、「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。」(同29節)と語ることができました。聖霊の助けによって幼子イエスの中に「神共にいます」命を見出す間に、シメオン自身が主イエスの清き命に与って生かされる者とされたのです。それ故にシメオンはあらゆる思い煩い、囚われから開放されて、真に「生きる」ことができると共に、また、本当に安心して「死ぬ」ことができると語ることができたのです。
 使徒パウロも、生ける主キリストに出会うことを通して「新しく」生きる者とされました。自分の思いと力によって生きるのでなく、主キリストの霊の命に与って、「清められて」生きる者とされたのです。
 キリストに出会うまで、パウロは自分こそは正しい信仰に生きていると自負していました。しかしその自分が、主キリストに出会うことによって、実に「世を支配する諸霊に奴隷として仕えていた」「未成年」者(ガラテヤ書4章3節)に過ぎないことを思い知らされたのです。私たちが「神の子」(5節)とされていることは、「神が、『アッバ、父よ』と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります」(6節)とパウロは語っています。この「御子の霊」に生きることが、本当に新しさに生きる唯一の道なのです。