メッセージ  (説教より)
「出エジプト記」


「朝ごとに必要な分を集めた」     出エジプト記16章1−36節

「これこそ、主があなたたちに食物として与えられたパンである。…『あなたたちはそれぞれ必要な分、つまり一人当たり一オメルを集めよ。それぞれ自分の天幕にいる家族の数に応じて取るがよい。』」(16節)と語られています。荒れ野の生活に苦しむイスラエルの人々を憐れみ、神は「マナ」(30節)という食べ物を与えてくださいました。一オメルは約2.3リットル。それを家族の数に応じて、朝ごとに集めるのです。
 一つの条件がありました。それはマナを「翌朝まで残しておいてはならない」(19節)ということでした。つまり、マナは毎朝ごとに、その日に「必要な分だけ」を集めるのであって、翌日の分まで集めてはならないのです。明曰は与えられないかもしれないと、不安に駆られて、翌日の分まで集めてはならないのです。明日は明日、必ず神が与えてくださることを信じて、その日に必要な分だけを集めるのです。
 神への信頼が問われる条件でした。この条件を無視して翌朝まで残しておいたマナは、「虫が付いて臭くなり」(20節)、食べることができないものとなったのです。神は、この条件を与えることによって、神を信頼して生きることの大切さをイスラエルの人々に教えようとされたのです。
 主イエスは「わたしは命のパンである」(ヨハネ6章48節)と言われました。主イエスの命こそ、日毎に新しく与るべき「マナ」なのです。日毎に新しく与ってこそ、主の命によって「清められた」力ある歩みができるのです。主イエスを信じる信仰の在り方が問われているのです。