メッセージ  (説教より)
「エフェソの信徒への手紙」


「キリストにおいて一つ
          ―キリストの平和に生きる―」

           エフェソの信徒への手紙一4章1-6節

 今年度の教会標語を副題から考えてみたいと思います。即ち、キリストの
平和に生きることにおいて「一つ」となる、という観点から。
 復活の主イエスは、ユダヤ人を恐れて閉ざされた部屋の中で肩を寄せ合っ
て集まっていた弟子たちの真ん中に立たれて、「あなたがたに平和があるよ
うに」と言われました(ヨハネ20章21節)。復活の主イエスは、死人をよみ
がえらせる全能の御力をもって、私たちの思い煩い悩む心の只中にお入りく
ださり、不思議な、揺るぐことのない心の平安(平和)を与えてくださるの
です。その復活の主イエスが与えてくださる心の平安(平和)を共に求め、
それによって生きるところに、教会における真の一致が成り立つのです。
 ただ主イエス・キリストを信じるというだけでなく、信じる復活の主キリス
トが、聖霊の働きの中で、私たち一人ひとりのうち御臨在くださり与えてく
ださる魂の平和を祈り求め、それによって生きる。その点で一致することが
大切なのです。
 コリント教会では「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたし
はケファに」「わたしはキリストに」と言って、党派争いが起こったと記され
ています(コリント一1章12節以下)。キリストを信じる人間の方に目を向
けるからです。そうではなく、聖霊において生きて働きたもう主キリスト御
自身に心の目を向け、キリストの霊的臨在によって与えられる心の平安に生
かされることを求めるのです。そのために心を一つにして祈り、礼拝を献げ
るのです。すると、「あらゆる人知を超える神の平和」(フィリピ4章7節)
が与えられ、深い喜びと感謝に満たされるのです。この主キリストが与えて
くださる「神の平和」に共に生きるところに、教会の真の一致があるのです。