メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙二」


「キリストに対する真心と純潔とからそれて」      コリン卜の信徒への手紙ニ11章1−15節

 「エバが蛇の悪だくみで欺かれたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真心と純潔とからそれてしまうのではないかと心配しています」(3節)とパウロは言っています。
 エバは、どのように蛇の悪だくみで欺かれたのでしようか。蛇は、園のどの木からも取って食べてはいけないなどと、そんなひどいことを神は言われたのですか、とエバに問いかけたのです。それに対してエバは、いや、どの木からもというのではなく、園の中央の木の実だけは取って食べてはいけない、と言われたのです(創世記3章1以下)、と言って、神を弁護するのですが、それにしてもなぜ、神は園の中央の木の実だけは取って食べてはいけない、と言われたのだろうか、神は何か大切なことを私たちに隠しているのではないだろうか、と、エバは神への疑いを抱き始めたのです。さりげない問いかけを通して神への疑いへと導くところに、蛇の狡猾さがあるのです。
 園の中央の「禁断の木の実」とは、なんでしょうか。それは、神の御言葉であり、御子イエス・キリスト、と言うことができるのではないでしようか。
 いずれにしても、御子キリス卜はすべての人間の罪を担って十字架の死を遂げ、復活の命を現し、すべての人をご自身へと招いておられます。この主キリストの招きに「真心と純潔」をもって従うのです。言い換えれば、心からの「悔い改め」をもって従うのです。主イエスは「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」(マタイ9章13節)と言われます。この主イエスの招きを信じて、どこまでも「真心と純潔」をもって従っていきましょう。