メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙二」


「言葉では言い尽くせない神の贈り物」 コリントの信徒への手紙二 9章1-15節

 パウロは、異邦人教会が母なるエルサレム教会に「献金」を献げることに深い意義を見出していました。異邦人教会は、母なるエルサレム教会から主イエスの福音を教えられた感謝を忘れず、エルサレム教会への支援に励んでほしい、そういう強い思いがパウロにありました。
 確かに福音宣教はユダヤ人から始められたのですが、ユダヤ人が福音宣教を拒んだために、福音宣教は異邦人に向けられました。しかし、そのことでユダヤ人を軽んじないでほしい。異邦人教会はあくまでもエルサレム教会という幹に接ぎ木された教会なのだから、もし接ぎ木された枝(異邦人教会)が幹(エルサレム教会)を軽んじるなら、神が自然に生えていた元の枝(ユダヤ人)を切り落とされたように、接ぎ木された枝(異邦人教会)に対しても容赦されないであろう(ローマ書11章17節以下)、そういう思いがパウロにあったのです。
 そして、パウロが心より願ったことはこういうことでした。異邦人教会の「惜しまず豊かに」献げる献金が、主キリストの福音への従順の証しとなり、そのことがエルサレム教会の人々の信仰を励まし、異邦人教会に与えられた「この上なくすばらしい恵み」を見て、神をほめたたえ、異邦人教会を慕い、異邦人教会のために祈るようになる(13~14節)。
 こうして「献金」という業を介して、エルサレム教会と異邦人教会との間に信仰上の交わりが生まれる。これこそパウロが願うことであり、これこそ「言葉では言い尽くせない」神の贈り物である(15節)と言って、神への感謝を表すパウロなのです。