メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙二」


「まず自分自身を主に献げる」  コリン卜の信徒への手紙二 8章1-15節

 マケドニア州の諸教会が「激しい試練を受け」「極度の貧しさ」の中にありながらも、「満ち満ちた喜び」の中で豊かな献金を献げることができたことを紹介しながら(1~2節)、パウロはコリント教会の人々に、異邦人教会にとって「母なる教会」であるエルサレム教会への献金を勧めています(7節)。
 そして、マケドニア州の諸教会の豊かな献金の力がどこから生まれて来るか、それは、彼らが「まず主に、次いで、神の御心にそってわたしたちにも自分自身を献げた」(5節)信仰から来ている、とパウロは語るのです。献金を献げる前に、その前提として、「まず自分自身を主に献げる」信仰があった、そこから豊かな献金を献げる力が与えられた、とパウロは言うのです。
 献金を献げることには微妙な問題があります。いくら献げたらよいか、人はどうか、そういうことが気になるのです。そして人より多く献げれば優越的な気持ちになり、人より少なければ肩身の狭い思いをする、そういう誘惑がいつも付きまとうのです。
 大切なことは、「まず自分自身を主に献げる」ことです。自分自身を主キリストに献げ、主キリストの赦しと助けの中で、キリストの清き命に与りつつ生きる。その信仰に励むのです。この「献身」こそ、神が一番お喜びになる、そして、すべての人に共通に求められている「献げ物」です。
 自分を主に献げる信仰の中に、主が共にいてくださる救いの喜びがあります。その喜びの中から、献金を献げ、奉仕の業をするのです。その時、私たちの業は、人の目に小さなものであっても、神に祝福された業となるのです。