メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙二」


「奉仕の務めが非難されないように」   コリントニ 6章3-13節

 前回も取り上げましたが、「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」(2節)とあります。主イエスの十字架と復活そして聖霊降臨の出来事が起こって以来、人間の日々はすべて、主イエスの聖霊による臨在の恵みに満ちた日々である、と言うのです。そのように思えないのは、私たちが、神からいただいた恵みを無駄にしている(1節)からだ、とパウロは言うのです。
 まことに神の恵み(主キリストの聖霊による臨在)を「無駄にしている」 私たちの日々であり、人類の歴史ではないでしょうか。
信仰は、ほどほどにしないと危険である、深入りしてはいけない、とよく言われます。しかしそれは、自分が「主」「神」となった考え方ではないでしょうか。自分の考え(判断)が「主人」となっているのです。そのために、主イエスを真に「主」「救い主」とすることができず、主イエスの聖霊によるご臨在の恵みに与ることができないのです。自分で自分にブレーキをかけることによって、自ら主イエスの救いの恵みを拒んでいるのです。そのようにして、私たちは「神の恵みを無駄にしている」のではないでしょうか。
 使徒パウロは、主イエスの救いを証する「奉仕の務めが非難されないように」(3節)「あらゆる場合に神に仕える者としてその実を示しています」(4 節)と言っています。ただ歯を食いしばって頑張る、というのではないので す。どんな時にも、主イエスの救いの望みから離れず、主イエスの愛と赦しと救いに頼り抜くのです。そこに、しなやかで、たくましい、屈することのない信仰者の生き方が生まれる(8~10節)とパウロは言うのです。