メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙二」


「キリストの愛が駆り立てる」   コリン卜ニ 5章11−15節

「キリストの愛がわたしたちを駆り立てている」(14節)とパウロは言っています。「駆り立てる」とは、強く押し迫るという意味の言葉です。預言者エレミヤが「主の名を口にすまい/もうその名によって語るまい、と思っても/主の言葉は、わたしの心の中/骨の中に閉じ込められて/火のように燃え上がります。押さえつけておこうとして/わたしは疲れ果てました。わたしの負けです」(エレミヤ20章9節)と語っている言葉は、まさにその状況を表わしています。
 どんな人間をも、その罪を赦して神の救いに生かし、あらゆる囚われから 解放して、人間としての本当の自由に生かそうと、主イエスは十字架の死を遂げ、復活の命を現してくださいました。そのキリストの愛が、強く私たちの心の中に迫って来る故に、私たちは主キリストを信じ、その愛に応えて生きようとするのです。私たちが毎週日曜日に教会に来て、礼拝を献げるのも、そのためではないでしようか。私たちの心にキリストの愛が迫って来るから、そうせざるを得ないのです。
 この世の常識からすれば、毎週日曜日に教会に集い、礼拝を献げることは「異常なこと」「正気を失ったこと」(13節)ではないでしょうか。しかし、主イエスを信じる者にとっては、それこそ神のみ前に正しいことで、そうせずにはいられないのです。そのようにキリストの愛が私たちを「駆り立てる」のです。神は、そのようにして私たち一人ひとりの魂を捕え、主キリストの愛に、救いに生かしてくださるのです。