メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙二」


「宝を土の器に納める」     コリントの信徒への手紙ニ4章7—11節

「わたしたちは、このような宝を土の器に納めています」(7節)とパウロは言っています。「土の器」とは、土からできている器、素焼きの陶器のことです。もろくて弱い器です。しかし、日常生活にはなくてならない器であり、当時の人々はこういう器の中に金や銀のような貴重品を入れて保管していたのです。そういう土の器を念頭に置きながら、福音宣教者はそしてそもそも信仰者は主イエス•キリストという宝を「土の器」のような自分自身の中にいただいている、とパウロは言うのです。
 信仰者は堅固な、立派な器ではありません。もろくて壊れやすい器です。ですから、宝である主イエスをいただいていても、「四方から苦しめられ」「途方に暮れ」「虐げられ」「打ち倒され」そうになるのです。自分白身の弱さや愚かさからそうなることもあるのです。しかし、たとえどんなに困難な状況に置かれても、決して「行き詰まらず」「失望せず」「見捨てられず」「滅ぼされない」のです(8~9節)。なぜなら、土の器の中にいただいている 宝であるお方が「並外れて偉大な力」(7節)をもっておられるからです。
 私たち信仰者は、自らの土の器の中に働いてくださる主イエス•キリス卜の「並外れて偉大な力」をいよいよ深く味わうべきではないでしょうか。 私たち自身の力ではなく、私たちの中に働く「並はずれて偉大な力」(死人をよみがえらせる復活の力)に注目するのです。その力によって生かされる幸いを思うのです。その時私たちは、どんな困難な中にあっても不思議な心の平安を与えられ、愛を与えられ、望みをもって生きることができるのです。