メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙二」


「神の言葉を曲げず」      コリントの信徒への手紙ニ4章1—6節


「卑劣な隠れた行いを捨て、悪賢く歩まず、神の言葉を曲げず、真理を明らかにすることにより」(2節)とあります。
厳しく響く言葉ですが、「神の言葉を曲げない」とはどういうことでしょうか。人の顔色をうかがい、人に気に入られるように神の言葉を語らない、 福音の真理をはっきりと、曲げずに語っていく、ということでしょう。
ところで、「神の言葉」とは何でしょうか。神の言葉とは、神の「恵みの」言葉、「恵み深い」神の言葉、ということです。言い換えれば、神は「罪人」を救ってくださるということです。そのことを曲げないで、はっきりと、明確に語っていく、ということです。
福音宣教者の誘惑は、自分では「神は罪人を救ってくださる」と言いなが らも、自分自身(福音宣教者)はまじめで、誠実で、信仰熱心な人間である、ということを言外に語り、結局、神はそういう人間を喜ばれ、救われるのだという「誤った」メッセージを発することではないでしょうか。
それは、福音の真理を「曲げる」ことになるのではないでしょうか。神が本当に「罪人」を救ってくださるなら、福音宣教者自身が真実に神の御前に「罪人」として立ち、心の底から「主よ、憐れみたまえ、この罪人をお救いください」と祈っていくべきなのです。そして、そのように祈る時に、神はその祈りに応えて、「主が共にいてくださる」インマヌエルの恵みの中に生かしてくださることを、身をもって証ししていくべきなのです。 そのことが、「神の言葉を曲げず、真理を明らかにする」ことでしょう。