メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙二」


「霊に仕える務め」    コリントの信徒への手紙ニ 3章4—11節

「文字は殺しますが、霊は生かします」(6節)とあります。「文字」とは「律法」のことであり、「霊」とは主イエス•キリス卜の霊的臨在のこと(主キリストが私たちの魂の内にご臨在くださること)、と言ってよいでしょう。 律法は、神の律法ですから、本来尊いものです。律法を神の律法として、 信仰をもって正しく受け止めるなら、(律法によって)律法に生きる力が与えられるのです。しかし、人間には罪(神への不従順)があり、律法を正しく 神の律法として受け止めることができないのです。
律法を自分の正しさ(義)のために利用するのです。自分はこれだけ律法を守っていると言って、自分の正しさを誇り、人を裁くのです。また、逆に、 自分は律法を守ることができないと言って、自分を裁き、正しい誇りを持て なくするのです。その意味で、律法は人を真に生かすことができず、かえって人を「殺す」(ダメにする)のです。
そういう罪人の救いのために、神の御子、救い主イエス•キリストが遣わされたのです。主イエスは、すべての人間の罪の赦しと救いのために十字架の死を遂げ、復活の永遠の命を表わしてくださいました。どんな人間も、自らの罪を言い表し、心から主イエスに頼る時、主イエスの復活の命に生かされる者となるのです。主イエスが、聖霊のお働きの中でそのように生かしてくださるのです。主イエス•キリストこそ、人を「生かす」霊なのです。
この主イエス・キリス卜の霊の救いの働きに仕えることが、福音宣教者のそしてすベての信仰者の務めなのです。