メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙一」


「共に苦しみ、共に喜ぶ」
         コリントの信徒への手紙一12章12-26節


 教会は、キリストの体、と言われます。目に見えないキリストを目に見え
る「教会」という組織体をもって証しする、それが教会です。教会がそこに
あることによって、この世の人々にイエス・キリストという方がおられるこ
と、その方が、今も救い主として生きて働いていることを証しするのです。
その意味では、教会はそこにあるというだけで大切な働きをしているのです。
 教会は、毎週の礼拝をもってキリストを証ししています。16世紀ルター派
の代表的な信仰告白であるアウグスブルク信仰告白は「福音が純粋に宣べ伝
えられ、聖礼典が正しく執行されるところに教会がある」と言っています。主
キリストを宣べ伝える説教が正しく、力強く語られ、主キリストの十字架と
復活を証しする聖礼典(洗礼式と聖餐式)という儀式が神の御心に適う仕方
で行われているところに、キリストの教会が存在するのです。
 教会はまた、主キリストの愛を映す交わりと奉仕を通してキリストを証し
します。コリントの信徒への手紙一12章23節以下にそのような愛の交わり
が美しく言い表されています。「わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪
いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をも
っと見栄えよくしようとします。~神は、見劣りのする部分をいっそう引き
立たせて、体を組み立てられました。それで、体に分裂が起こらず、各部分
が互いに配慮し合っています。一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に
苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです」。このよ
うな愛の交わりと奉仕を通して、教会は主イエス・キリストが真に生きて働き
たもうまことの救い主であることを世の人々に証しするのです。