メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙一」


 「死ななければ命を得ない」        コリントの信徒への手紙一15章35−49節

 「愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ命を得ないではありませんか」(36節)と言っています。植物の種は、地に蒔かれ、地の中でいわば腐敗して「死ぬ」ことによって、そこから新しい命が芽生え、新しい「体」が与えられる。死者の復活もそれと同じで、いま生きている体がひとたび死ぬことを通して、まったく新しい「復活の体」に生まれ変わることができる。このことは森羅万象すべてについて言えるが、死者の復活についてこそあてはまる、そうパウロは言っているのではないでしょうか。
 私たち人間が死ぬということは、実際に生きた体が死ぬことだけでなく、神の御前に「霊的に」死ぬ、ということがあるのではないでしょうか。神の御前に自らの罪を言い表し、この「死に定められた体」(ローマ7章24節)の中に主キリストの復活の命が働き、キリストの復活の命によって私を新しく生まれ変わらせてください(ローマ8章10〜11節)。そう祈ることが神の御前に霊的に死ぬことではないでしょうか。
 私自身は「罪の奴隷」(ローマ7章14節)であって、自分の力で生きる限りは、罪を犯す以外にないのですから、私の中に主キリストが聖霊によって生きて働いてくださり、キリストの復活の清き命に生かしてください。それによって、神の御前に、人々の間にあって良き者として生きることができますように。そのように、ひたすら主キリストの救いを求めることが、神の御前に「死ぬ」ことではないでしょうか。その意味で、私たちは「死ななければ」新しい命に生きることができないのではないでしょうか。