メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙一」


 「復活の初穂として」           コリントの信徒への手紙一15章20−28節

 「死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです」(21節)と言われています。
 アダムの罪のことが言われています。アダムの罪とは、エデンの園において「禁断の木の実」を食べた罪です。神の「聖域」を犯したのです。神を信じ、神の支配に服しつつ生きることが、被造物としての人間にとって本当の幸せなのです。そのことを拒み、自分の知恵と力によって生きようとしたのです。そういう罪が、アダム以来今日に至るまで続いているのです。
 神がそのような人間の不従順の罪を厭い、人間との交わりを絶たれることによって(エデンの園からの追放!)、人間の死は神との交わりからの永遠の断絶を意味し、「滅び」を意味するようになったのです。人間は、アダムの時以来、この果てしのない罪と滅びの連鎖の中に生きるものとなったのです。
 しかし、神ご自身がそのことに耐えられなかったのです。人間が罪を犯し、滅びの中に歩み続けることに(人はそのこと自体に気付かない!)、神ご自身が忍び得なかったのです。それ故に神は、御子を世に遣わし、御子をすべての人間の代表として裁くことを通して、人間の救いの道を開いてくださったのです。主イエスが、すべての人間の代表として十字架の死において神の裁きを受けてくださることによって、すべての人間の罪の赦しと救いの道が開かれたのです。
 そして、主イエスの十字架の死の真実の故に、主イエスはすべての人間の「初穂として」死者の中から復活されたのです。