メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙一」


 「キリストが復活しなかったのなら」       コリントの信徒への手紙一15章12−19節

 「キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります」(17節)と言われています。
 主イエスが復活されたのは、ただ主イエスが死人の中から生き返った、ということだけではないのです。主イエスの十字架の死が本当に人間の罪を担い、罪を贖う、真実の死であることを、天の父なる神がお認めになったからなのです。それ故に、死んで陰府に下り、滅びの中に横たえられた主イエスのお体に、全能の神の御力が加えられ、主イエスはよみがえらされたのです。
 つまり、主イエスが復活されたのは、主イエスの十字架の死が「真実な死」であることを父なる神が認めてくださったからなのです。ですから、もし主イエスが「復活しなかった」ことが事実なら、それは、主イエスの十字架の死が真実な死ではなかったことになるのです。主イエスの十字架の死に何か隠れた不真実があり、主イエスの十字架の死によっては人間の罪が贖われなかったことになるのです。なぜなら、神が主イエスの十字架の死を真実な死として認めなかったことになるのですから。
 もしそうだとしたら、私たちの罪は「贖われなかった」ことになり、私たちは「今もなお罪の中にある」ことになるのです。そうだとしたら、私たち信仰者は、罪赦されていないのに、罪赦されたと信じることになり、そういう信仰に生きる私たちは。「すべての人の中で最も惨めな者」(19節)となるのです。しかし、主イエスの十字架の死は、事実、人間の罪を負う真実な死だったのです。それ故に、主イエスは神の全能の命の中に復活されたのです。