メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙一」


 「最も大切なこととして受けたもの」       コリントの信徒への手紙一15章1−8節

「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです」(3節)とパウロは言っています。ここにパウロの信仰の健全さ、正しさが証しされています。
信仰は、熱心になればなるほど、自分だけが特別に神から祝福されているといって、自分の優越を誇る思いが密かに心の中に入り込んで来る誘惑が大きくなります。悪しきパン種が信仰の中に入り込むのです。そういう思いの中で、正しい信仰から逸れ、主キリストの霊の恵みから離れ、信仰が無力になる危険が大きいのです。巧妙なサタンの誘惑が働くのです。使徒パウロはそういう誘惑についてもよく気付いていたのです。
信仰の「最も大切なこと」は、自分が発見したことでも考え出したことでもなく、信仰の先達たちから受け継いだものである、とパウロは言うのです。
確かにパウロは、ダマスコ途上で、生ける主イエスとの出会いを経験しました。しかし、その出会いが復活の主イエスとの出会いであり、そのような出会いがパウロに与えられたのは主イエスの十字架の死による罪の赦しに基づくものであることをパウロに教え諭したのは、その時神から遣わされたキリスト教徒「アナニヤ」でした(使徒言行録9章10節以下)。信仰の先達たちの助けの中で自分もまた導かれたという謙遜な思いが、パウロにあるのです。そこにパウロの信仰の健全さ、正しさを見ることができます。
 主の教会は、時代がどんなに変わろうとも、変わることのない福音の真理を「最も大切なこと」として受け継ぎ、受け渡していく使命があるのです。