メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙一」


 「無秩序の神ではなく、平和の神」            コリントの信徒への手紙一14章26−40節

 聖書のタイトルに「集会の秩序」とあります。「集会」とは、何より「礼拝」のことです。礼拝の「秩序」の大切さが語られているのです。
私たちは主日ごとに礼拝を行っています。私たちは礼拝において何を求めているのでしょうか。何のために礼拝しているのでしょうか。
礼拝の本質、そして礼拝の中心は、主イエス・キリストの聖霊による臨在です。それを求めて、私たちは礼拝しているのです。主イエスの霊的臨在に与るとき、私たちの魂が「信仰」へと引き上げられ、心からの賛美を献げる者とされるのです。そのようにして、主イエスの救いに生かされるのです。
礼拝においてなされる説教(御言葉の説き明かし)もそのことを目指しているのです。説教は、主イエス・キリストにおける神の恵み(救い)について語ります。そのことが語られ、聞かれる間に、それを聞く一人ひとりの魂の内に主キリストが聖霊において働いてくださり、一人ひとりの魂を捕え、心からの神賛美へと導いてくださるのです。礼拝はそのことを目指しているのです。そして説教はそのことに仕えるのです。その点において、説教の奉仕が問われるのです。
このような礼拝を行う上で大切なことは、神の御前に「静まる」ことです。御前に静まって、自らの貧しい罪の現実を言い表わし、神の赦しと助けを祈るのです。そういう祈りを神は喜ばれるのです。その祈りに神は主キリストの霊的臨在の恵みをもって答えてくださるのです。神が「無秩序の神ではなく、平和の神」(33節)であることも、そのことに深く関わっているのです。