メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙一」


 「教会を造り上げる」            コリントの信徒への手紙一14章1−19節

「霊的な賜物、特に預言するための賜物を熱心に求めなさい」(1節)とあります。「預言する」とは、神の言葉を語ることで、説教することと同じです。
神の言葉を語ることにおいて最も重要なことは、御言葉を語る者(説教者)自身がまず深く自らの魂の内に御言葉を聞き、御言葉に生かされる者となることです。その上で、神(主キリスト)について語る時、その説教者の言葉の中に、聖霊が働いて、御言葉(説教)を聞く人の魂に、神(主キリスト)が伝えられるのです。神(主キリスト)御自身が御言葉を聞く人の魂の内に生きて働いてくださるのです。聖霊の働きを通して。
御言葉を語る(説教する)ということは、そのことを目指しているのです。そこに、御言葉を語る(説教する)ことの最大の使命であり、最高の喜びがあると共に、最大の困難さがあるのです。なぜなら、御言葉を語る者自身の神の御前における「悔い改め」が真に問われるからです。
「預言する者は、人に向かって語っているので、人を造り上げ、励まし、慰めます」(3節)とあります。説教者が祈りつつ自分に示された神の言葉を自分の言葉で語ることには、限界があり、説教者自身の貧しい信仰が露わにされますが、同時に、説教者がどのように御言葉によって生かされているかが明らかになることによって、御言葉(説教)を聞いた者は、信仰の霊的な慰めと励ましを受けるのです。信仰の確信を新たにするのです。そのことが、人を「造り上げ」、主の体なる「教会を造り上げる」(4節)ことになるのです。
御言葉をいかに誠実に、神の御前にあって語るかが問われているのです。