メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙一」


 「信仰・希望・愛」             コリントの信徒への手紙一13章8−13節


「わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる」(12節)と言われています。
 「今は、鏡におぼろに映ったものを見ている」とは、御言葉と聖霊によって私たちの魂に示された主キリストの愛を信じつつ生きている私たちの現実の信仰生活のことを語っているのです。信仰によって、主イエスの愛を信じて生きているのですが、そこにはまだ「鏡におぼろに映ったものを見ている」ような曖昧さ、不十分さが付きまとっている、ということです。
 しかし、主イエスの救いの完成の時、終わりの時には、「はっきり知られているようにはっきり知ることになる」と言われるのです。「はっきり知られている」とは、どういうことでしょうか。神が私たちのすべてをはっきり知っておられる、ということです。私たちがいかに激しく、強く主イエスを拒み、十字架につける人間であるかを、神ははっきり知っておられるのです。私たちはそういう自分の罪の姿を、今もある程度は知っていますが、まだ「鏡におぼろに映った」ようにしか知らないのです。そういう自分の本当の姿をはっきり知るようになる、と言われているのです。しかし救いの完成の時には、そういう私の恐ろしい罪の姿だけでなく、そういう私を完全に赦し、そういう私を神の子供として受け入れてくださる主キリストの全き愛を、完全に知って、溢れるばかりの賛美を神に献げる者となる、と言われているのです。パウロは語るのです。