メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙一」


「共に苦しみ、共に喜ぶ」  コリントの信徒への手紙一 12章12−26節

 「それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです」(22節)とあります。また、「神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました」(24節)と言われています。
 不思議な表現です。普通であれば、「弱く見える部分」や「見劣りのする部分」があれば、できるだけそれを隠そうとしたり、それを取り除こうとするのではないでしょうか。しかし、キリストの体である教会は、弱く見える部分や見劣りがする部分をこそ大切にするのです。そこで助け合い、そこで共に生きるのです。そこでこそ、主キリストの命に生かされる者たちの本当の姿が明らかにされるのです。神はそのために、「弱く見える部分」や「見劣りのする部分」を教会にお与えになるのです。
 教会という共同体の特徴は何でしょうか。それは「一致」ということです。「体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合って」(25節)いるということです。それが、この世における教会共同体の特徴なのです。
 教会は、この世において何か有効な働きをすることが第一義的に重要なのではありません。教会にとって最も重要なことは、どんな状況の中でも、主にあって一つであることです。たとえこの世が混乱と分裂の中にあっても、主にある一致の中に生き続けることです。それによってキリストの救いを証しするのです。「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶ」(26節)交わりこそ、キリストを主と信じ、主キリストの命に生かされる教会共同体の真の姿なのです。