メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙一」


「イエスは主である」   コリントの信徒への手紙一 12章1−3節

 「イエスは主である」(3節)とは、キリスト教信仰の最も短い信仰告白です。私たち信仰者はいつも「イエスは主である」と告白しつつ生きるのです。
 「イエス」とは、「ナザレ人イエス」ということです。ガリラヤのナザレ出身の一人の人間イエスが、神から遣わされた救い主でs、すべての人間が服しその救いに与るべき「主」「主人」(キュリオス)であると告白するのです。
 この告白の中心は、そのお方の十字架の死と復活です。そのお方の十字架の死が、すべての人間の罪の「贖い」の意味を持ち、そのお方の十字架の死によって、私のそしてすべての人間の罪が赦されており、私を含めたすべての人間が、そのお方の罪と死に勝利した、復活の永遠の神の命に生きることができるように常に招かれていることを信じ、その招きに生きるのです。
 ナザレ人イエスが「主である」ことを信じる信仰において、大切なことは、このお方が、私たちすべての人間と全く同じ人間でありながら、聖霊によって(お生まれになり!)生きることによって、すべての罪から守られた聖いお方であった、ということです。「アッバ、父よ」とご自身をいつも父なる神に委ねられることによって、聖霊がすべての罪の働きからこのお方を守られたのです。そのような歩みの中で、どんなに悪を受けても、決して悪をもって報いず、愛と赦しと父なる神への執り成しの祈りのうちに、十字架の死を全うされたのです。それ故に、このお方の十字架の死がすべての人間の罪を「贖う」力を持っておられたのです。私たちはこのようなお方を心から「主」と信じ、その救い(永遠の命)に、聖霊のお働きの中で、生かされるのです。