メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙一」


「ふさわしい聖餐の守り方」   コリントの信徒への手紙一 11章27−34節

 「ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります」(27節)と言われ、「だれでも、自分をよく確かめたうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです」(28節)と言われています。ふさわしい聖餐の守り方が厳しく求められています。
 自分がどういう姿勢で主の聖餐に与っているか、神の御前に本当に謙遜に、自らの罪のために主イエスが十字架の死を遂げてくださったことを覚えながら、感謝と悔い改めのうちに主のパンと杯をいただいているか、その点で「自分をよく確かめる」(吟味する)ことが求められているのです。
 主イエスの救いは、主イエスの十字架の死による、罪の赦しに基づく救いです。その救いに与るために、しかし、「ふさわしい」謙遜と感謝の心が求められているのです。ふさわしい謙遜と感謝の心なしには、主の救いに与ることはできないのです。
 「主の体のことをわきまえずに飲み食いする者は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです。そのため、あなたがたの間に弱い者や病人がたくさんおり、多くの者が死んだのです」(29〜30節)と言われています。厳しい言葉です。聞きたくない言葉です。聖餐の守り方が、私たちの健康や死の問題と結びつけられて語られていることに、抵抗を感じます。しかし私たちは、このような言葉も真剣に受け止めなければならないのではないでしょうか。主イエスの聖餐が、それほど尊い恵みだからです。それを軽んじては、主の救いに与って生かされることはできないのです。