メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙一」


「神の教会の秩序」     コリントの信徒への手紙一 11章2-16節


 「女の頭は男」(3節)、「女は男の栄光を映す者」(7節)といった、男女に差別があるように思わせられる表現が出てきて、抵抗を感じます。しかし、これは、神が人を女と男に造られた(創世記1章27節)という創造の秩序に関わることなのです。そして、神の創造の秩序は、神の救いの秩序の中で初めて意味を持つし、麗しい秩序として受け入れることができるのです。
 11節に「主においては、男なしに女はなく、女なしに男はありません。」と言われています。これは、救いの秩序を語っている言葉です。主キリストの救いに与るためには男と女の区別はない、いや、その点では、「ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」(ガラテヤ3章28節)なのです。すべての人間が、等しく神の御前に「悔い改め」を必要としているのです。「自分を捨てて主に従う」共通の信仰の戦いがあるのです。その点で、誰が有利、誰が不利ということはないのです。神の御前に真に謙遜になる者が主イエスの救いに生かされるのです。
 主イエスの救いに生かされる救いの秩序の中で、神の創造の秩序が意味を持つのです。夫と妻が「キリストと教会」を指し示す(エフェソ5章32節)秩序が意味を持つのです。男性が「責任的」であり、女性が「従順で」あることが意味を持つのです。それによって、互いの賜物を生かしながら助け合うことを通して、いよいよ深く主キリストの救いに生かされることが目指されているのです。主キリストの救いの中で、従って、主の教会の中で、神の教会の美しい秩序が示されるのです。