メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙一」


「すべてを神の栄光のために」  コリントの信徒への手紙一 10章23-11章1節


 「『すべてのことが許されている。』しかし、すべてのことが益になるわけではない。『すべてのことが許されている。』しかし、すべてのことがわたしたちを造り上げるわけではない。」(23節)と言われています。
 「すべてのことが許されている」ということが二度繰り返され、強調されています。主イエスの十字架の御死によって、確かに「すべてのことが許されている」のです。どんな過ちも、主イエスの十字架の死によって赦されているのです。だから、どんな過ちを犯しても、それを心から悔い、主の赦しと助けにすがるなら、どんな人も主イエスの救いの恵みの中に生きることができるのです。
 豊かな、磐石の赦しが、主イエスによって与えられているのです。しかし、それなら何をしても構わない、ということではなく、その磐石の赦しの中で、少しでも「益」となること、人を「造り上げる」(信仰を強化する)ことを行うことが求められているのです。
何が「益」となり、人を「造り上げる」ことになるのでしょうか。それは「自分の利益ではなく他人の利益を追い求める」(24節)ことなのです。自分の救いのため(それが最も大切ですが)だけでなく、他者の救いのためにも心を砕くのです。隣人の魂が主イエスの救いへと向けられ、主にある心の平安へと導かれることを求めるのです。そのことがまた、自分自身にとっても「益」となり、自分の信仰を強化することになるのです。何よりもそのことが、罪人をお救いくださる「神の栄光を現す」(31節)ことになるのです。