メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙一」


「土台はイエス・キリスト」    コリントの信徒への手紙一3章10−17節


 「イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません」(11節)と言われています。主イエス・キリストを信じる一人ひとりの魂(心の内奥)の中に、イエス・キリストという土台が既にしっかりと据えられているのです。これ以外の「ほかの土台」(自分という土台も!)を据えることは、誰にも許されていないのです。
 この土台は、「生ける」主イエス・キリストご自身です。この土台の上に、私たち一人ひとりの信仰生活、日々の歩み、人生が築かれていくのです。
 大切なことは、この土台の上に(そこからはみ出さないで)しっかり立つことです。この土台に自分を委ねるのです。この土台のもとに重荷を下ろすのです。それだけでいいのです。それが大事なのです。なぜなら、土台自身が全能の命と力を持っているからです。この土台に自分を委ねた時、土台である生ける主キリストご自身が私たちを清めて、私たち一人ひとりを御自身の命の中に(聖霊によって)生かしてくださるのです。
 問題は、どれだけ従順にこの土台の上に自分を委ねるかです。従順に委ねれば委ねるほど、それだけ豊かに生かされるのです。「金、銀、宝石、木、草、わら」(12節)と言われているのは、そのことと関わっているのです。土台である主イエスに委ねれば委ねるほど、たとえその人の地上の歩みが人間的・社会的には「木、草、わら」のように見えても、神の御眼には「金、銀、宝石」のようであるのです。私たち一人ひとりの中に既に土台として据えられているお方が、どんなに尊く大切なお方であるかが分かるのです。