メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙一」


「偶像礼拝を避けなさい」     コリントの信徒への手紙一10章14−22


 「偶像礼拝を避けなさい」(14節)と語ったすぐ後で、「わたしはあなたがたを分別ある者と考えて話します」(15節)と言って、これから話す微妙な問題を正しく判断してほしい、とパウロは訴えているのです。
 偶像礼拝は、主イエス・キリストを信じる正しい信仰の中にも入り込んで来ることをパウロは問題にしているのです。主イエスのご受難を覚えて与る聖餐式が「偶像礼拝化」することがあると語っているのです。
 聖餐の杯に与ることは、「キリストの血にあずかること」であり、裂かれたパンをいただくことは「キリストの体にあずかること」(16節)を意味するのです。つまり、聖餐の杯とパンに与ることは、主イエスの十字架の死に与ることを通して、主イエスの復活の命に与ることを意味し、そこには心のからの「悔い改め」が求められているのです。そのことなしに、安易に聖餐の杯とパンに与ることは、聖餐式を偶像礼拝化することを意味するのです。
 聖餐式の式文に「ふさわしくないままでパンを食し、主の杯を飲む者は、主の体と血とを犯すのである」とあり、また「主の体をわきまえないで飲み食いする者は、その飲み食いによって自分に裁きを招く」とあるのは、そのことを意味しているのです。主イエスを十字架につける罪を犯す自らであることを神の御前に言い表すことが、「ふさわしい」聖餐の与り方なのです。
 「わたしは、あなたがたに悪霊の仲間になってほしくありません」(20節)と言っています。正しい信仰の中にも偶像礼拝の危険がひそんでいることをパウロは語っているのです。