メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙一」


「自分が失格者にならないように」     第一コリント書9章24−27節


 「わたしとしては、やみくもに走ったりしないし、空を打つような拳闘もしません。」(26節)とパウロは言っています。不思議な言い方です。
 信仰生活において「やみくもに走る」とか「空を打つような拳闘をする」とは、どういうことでしょうか。信仰生活の目標がはっきりしない、ということではないでしょうか。ただ漠然と主イエス・キリストを信じる信仰生活をしている、ということではないでしょうか。信仰生活には、はっきりとした目標があるのです。その目標に向かって「競技場で走るように」「賞を得るように走る」、その点で「空を打つような拳闘をしない」ことなのです。
 信仰は、主イエス・キリストを信じることです。主イエスが神の御子、救い主であることを信じるのです。しかし、何よりも主イエスの聖霊による臨在を信じるのです。主イエスが、常に聖霊をもって私の魂に臨み、私を主の復活の命に生かしてくださることを信じるのです。主イエスが共にいてくださる「インマヌエル」を信じるのです。それが、信仰の明確な目標なのです。その目標を見失って、やみくもに走ったり、空を打つような拳闘をしない、ということです。いつもその目標を目指して走る、いや、その目標に達した、目標に接した(触れた)歩みをする、ということです。
どうしたらそのような歩みができるのでしょうか。神の御前に心砕かれた祈りを献げるのです。その祈りに主が答えてくださるからです。そういう祈りを献げることが「空を打つような拳闘をしない」ということです。その点で「自分が失格者にならないように」(27節)とパウロは自戒しているのです。