メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙一」


「霊的なものを蒔く務め」        第一コリント書9章3−12節


 「わたしたちがあなたがたに霊的なものを蒔いたのなら、あなたがたから肉のものを刈り取ることは、行き過ぎでしょうか。」(11節)とパウロは語っています。「霊的なものを蒔く」とは福音宣教のことであり、「肉のものを刈り取る」とは、福音宣教者がこの世の生活を支えてもらうことです。福音宣教者にはそのことが赦されているのではないか、とパウロは言うのです。
 パウロ自身は、天幕造りという職業によって自分の生活を自分で支えながら福音宣教に励んだのですが、それはあくまで例外的なことで、福音宣教者は本来この世の生活を教会(信徒)によって支えられることによって、福音宣教に専念すべきである、と考えていたのです。なぜなら、福音宣教は決して片手間にできる業ではないからです。
 福音宣教において最も大切なことは、福音宣教者自身がまず福音によって生かされることなのです。それによって初めて力強く御言葉を語ることができるのです。しかし、それが大変なのです。福音宣教者自身が生身の人間ですから。宣教者自身が福音に生かされるために、祈ることが必要なのです。神の御前に自らを献げて、悔い改めつつ祈り、福音に生かされる者とされることによって、初めて御言葉を力強く語ることができるのです。そのためには、静かに時間をかけて祈ることが必要であり、そのためには、福音宣教者の生活が教会(信徒)によって支えられる必要があるのです。
そうであれば、福音宣教者は自らの生活が教会(信徒)によって支えられることに感謝しつつ、謙遜に福音宣教の業に励む以外にないのです。