メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙一」


「使徒であることの証拠」    コリントの信徒への手紙一9章1−3節 2?

 「わたしは自由な者ではないか。使徒ではないか。」(1節)とパウロは言っています。パウロの心の叫びのように聞こえます。
 すぐ前の個所で、「食物のことがわたしの兄弟をつまずかせるくらいなら、兄弟をつまずかせないために、わたしは今後決して肉を口にしません」(8章13節)と断言しています。このようなパウロの断固たる言葉を聞くと、私たちは不安な思いにさせられるのではないでしょうか。私にそのようなことができるだろうか、と不安になるのです。そして、肉を食べるくらいで躓くのは、躓く方が弱いと言って、自分を正当化したくなるのです。
 そういう状況の中で、パウロは「わたしは自由な者ではないか、使徒ではないか」と言っているのです。主キリストによって救われ、あらゆる囚われから自由にされた者が、隣人のためにそれくらいのことができなくて、どうして「使徒」と言えるか、そんなパウロの自負の叫びではないでしょうか。
 どうしたらそのような断固たる宣言が可能になるのでしょうか。それだけ深く主キリストの救いを見つめたからではないでしょうか。不安な思いが起これば起こるほど、幼子のような従順をもって主キリストの救いに頼ることによって、主が共にいてくださるインマヌエルの救いの喜びに魂が満たされたのです。その時、私たちの魂は強くされ、愛のために、あのような断言的な言葉を語る力を与えられるのではないでしょうか。
あのような断言的な言葉を語ることができることの中にすでに、パウロの「使徒であることの証拠」が示されている、と思うのです。