メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙一」


「兄弟のためにもキリストは死なれた」 コリントの信徒への手紙一8章7−13節

 自分の良心に反して、偶像への供え物を食べるなら、それによって自らの信仰を危機に陥れることになる、と言われています(10節以下)。
 どうしてそのようなことが言えるのでしょうか。偶像への供え物を食べることは神の御前に身を汚すことであると考える人(ユダヤ人キリスト者)が、そのようなことはない、そのような考えは未熟で狭い考えであると人から批判されることを恐れて、自分の良心に反して偶像への供え物を食べるなら、その人は、神に対する「やましい」気持ちを抱きながら生きることになり、そのために素直な気持ちで神の御前に立つことができず、やがて神から遠ざかることになるのではないでしょうか。
確かに主イエスは、すべての人の罪の赦しのために十字架にかかってくださったのですが、良心が傷つけられることによって、その福音を正しく心に受け止めることができなくなってしまうのです。
 自分の良心に従った信仰生活を行うことが大切ではないでしょうか。人から何と言われようと、自分が神の御前に良くないと思うなら、そういう生活を慎むのがよいのです。人からどのように批評されようと、自分の良心に従った生活を守るのです。その中で、心から主キリストの救いに頼るのです。神はそういう私たちを祝福し、より自由な生き方へと導いてくださるのです。
翻って、私たちは人の信仰生活を裁いてはいけないのです。「その兄弟のためにもキリストが死んでくださった」(11節)のですから。神は一人ひとりをその人自身の生活の中で導いてくださるのです。