メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙一」


「唯一の神がおられる」   コリントの信徒への手紙一8章1−6節

 「知識は人を高ぶらせる」(1節)とあります。知識とは、神を知る「知識」のことで、「信仰」と言ってもよいでしょう。神を信じる信仰が分かってきたと言って、ひそかに自分の信仰(知識)を「誇る」気持ちがあるなら、「その人は、知らねばならぬことをまだ知らない」(2節)、と言うのです。
 「知らねばならぬこと」とは、「神に知られている」(3節)ということです。私たちが神を信じるようになるのは、神ご自身が主キリストの十字架の恵みの中で私たちを知り、憐れみ、見捨てず、聖霊をもって私たちに臨んでくださり、私たちの心の目を開いてくださるからなのです。それ故に、私たちは神を、主キリストを「信じる」ようになるのです。私たちの信仰には、常に神の「啓示」の働きが先行しているのです。そのことを知らないで、自分の信仰を「誇る」気持ちが少しでもあるなら、その人は「知らねばならぬことをまだ知らない」と言わざるを得ない、とパウロは言うのです。
 「愛は造り上げる」(1節)とあります。「造り上げる」とは、真に人を生かすということです。主キリストを信じる心の中に聖霊によって与えられる愛だけが、真に人をも自分をも生かす(造り上げる)力をもつのです。
 私たちの信仰は、神ならぬもの(偶像)を信じる信仰(偶像礼拝)ではなく、「唯一の神」(6節)を信じる、唯一の「最高の信仰」です。しかし、この信仰の中にこそ最高の「高ぶり」の危険があるのです。唯一の神を信じる者こそ、最も深い謙遜の中で、真に主キリストの霊に生かされ、人をも自分をも「造り上げる」まことの愛に生きる者とならなければならないのです。