メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙一」


「世のあり様は過ぎ去る」   第一コリント書7章25−35節


 「今からは、妻のある人はない人のように、泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように、物を買う人は持たない人のように、世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです。この世のあり様は過ぎ去るからです」(29〜31節)とパウロは語っています。
 ずいぶん乱暴な、無責任な言葉のように聞こえます。しかし、このような表現でパウロが言わんとしていることは、余りにこの世の生活を絶対視して、この世の常識的な生き方から少しでも「外れた」生活をしたら、それでもうこの世の落後者であるかのように考えてしまう、そのような囚われた生き方からもっと自由になって生きるように、という勧めなのではないでしょうか。
 そのような自由な視点を与えてくれるのが、主イエス・キリストを信じる信仰の生活である、ということなのです。
「主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです」(第二ペトロ3章8節)という言葉があります。主が共にいて下さる(インマヌエル)恵みの一日は、千年にも値する一日である、というのです。主が共にいて下さる一日は、それほどに豊かな「天上の命」に与る一日である、というのです。主が共にいて下さる救いの恵みを味わい知る者は、その恵みの豊かさの故に、この世の生活を絶対視する囚われから解放されて、真に自由な生き方を与えられるのです。「この世のあり様は過ぎ去る」という認識を与えられつつ。そのような自由な視点の中から、かえってこの世に対して真に責任的な力強い生き方が生まれてくるのではないでしょうか。