メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙一」


「自分の体で神の栄光を現わす」     第一コリント書6章12−20節


 「『わたしには、すべてのことが許されている。』しかし、すべてのことが益になるわけではない。」(12節)とあります。確かに、人間の犯すすべての罪は主キリストの十字架の故に赦されており、どんな罪も、それを言い表して心から主キリストの救いに頼る時、私たちは罪赦されて、主キリストの復活の命に生きることができる者とされるのです。
ただ、「性的な不品行」の場合は、少し事情が違うのです。性的な不品行の場合は、たとえその罪を告白しても、性的不品を改めない限り、主の救いに生きることはできないのです。なぜなら、性のあり方において、主キリストの救いに反する生き方をしているのですから。それを改めない限り、どんなにキリストの救いを求めても、その恵みに生かされることはできないのです。
人が犯す罪はすべて「体の外」にありますが、性的不品行は「自分の体に対して」罪を犯すことになる(18節)とは、そのことを意味しているのです。
主を信じる者は、「主と一つの霊となる」故に、主を信じる者の性のあり方も、それに対応しつつ、「一人の」男性、「一人の」女性との結婚があるのみで、主を信じる者が、複数の男性、複数の女性との性の交わりをもてば、それは「自分の体に対して」罪を犯すことになるのです(17〜18節)。
「あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、・・・もはや自分自身のものではないのです。・・・だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。」(19〜20節)とあります。自分の体を自分の思いのままにせず、「聖霊の宮」として保つ努力をすることが、すべてに勝って大切なのです。