メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙一」


「内側を清めよ」    第一コリント書5章9−13節


 「兄弟と呼ばれる人で、みだらな者、強欲な者、偶像を礼拝する者、人を悪く言う者、酒におぼれる者、人の物を奪う者がいれば、つきあうな、そのような人とは一緒に食事もするな」(11節)と言われています。
 厳しい言葉です。私たち信仰者もここに記されている罪と無縁な人はいないのではないでしょうか。程度の差はあれ、このような罪に悩まされながら生きているのではないでしょうか。ただ信仰者は、自らの罪の貧しい現実を知り、悔い、心から主の赦しと助けにすがりながら、主の清さに与って生きようと努力しているのです。
 そういう罪との戦いを放棄し、罪を犯すことを恐れなくなってしまった人は、もはや「信仰の兄弟」と呼ぶことはできず、そのような人は教会の交わりから「除き去ら」(13節)なければならないのです。その点で「罪の処理」(マタイ福音書18章15節以下)がなされなければならないのです。それによって教会の「清さ」が保たれなければならないのです。
 確かに主キリストの十字架の赦しは無限です。限りない赦しです。しかしそれは、罪との戦いを放棄してよいことではないのです。どんなに貧しい罪の現実があっても、自らの罪に絶望することなく、主キリストの罪の赦しと救いに頼るべきなのです。その点で罪の赦しは無限であり、限りないのです。
 教会は、主キリストの限りない罪の赦しと救いを証しするために、交わりを清めなければならないのです。信仰者一人ひとりが自らの「内側を清める」(マタイ福音書23章26節)努力をすることによって。