メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙一」


「古いパン種を取り除け」     第一コリント書5章1−8節


 「現に聞くところによると、あなたがたの間にみだらな行いがあり、しかもそれは、異邦人の間にもないほどのみだらな行いで、ある人が父の妻をわがものとしているとのことです」(1節)と記されています。
 「異邦人の間にもないほどのみだらな行い」が、どうして教会の交わりの中で起こりうるのでしょうか。
 それは、主イエスの十字架による罪の赦しをはき違えているからなのです。主イエスの十字架の死によって、すべての罪が贖われ赦されているという事実の意味をはき違え、自らの罪に甘えることから起こって来るのです。
 確かに主イエスは、十字架の御死によって、すべての人間のすべての罪を赦していてくださいます。しかしそれは、それなら「何をしてもかまわない」「何をしても赦される」と言って、自らの罪に甘えることではないのです。すべての罪が赦されているから、いつでも安心して主イエスのもとに立ち帰ることができる、ということなのです。主イエスは、どんなに罪深く愚かで弱い人間でも、主イエスに頼る者を決して拒まれない、ということなのです。どんな人間でも主イエスに頼ることができ、主イエスに頼る限り、主イエスはその人を受け入れて、ご自身の聖き復活の永遠の命に生かしてくださり、それによって罪と戦う力を与えてくださるのです。
 主イエスの十字架の罪の赦しを自分に都合よく受け取り、主の赦しと助けの中で自らの罪と戦うことをせず、自らの罪に甘える心の不従順、それが私たちの心の奥深くに潜む「古いパン種」なのです。