メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙一」


「キリストのために愚か者になる」      第一コリント書4章6−13節


 「神はわたしたち使徒を、まるで死刑囚のように最後に引き出される者となさいました」(9節)とあります。古代ローマのコロシアム(円形劇場)において「死刑囚」は、大観衆の前で猛獣と戦わされ、負ければ猛獣の餌食となる最後の見世物として引き出されました。パウロはそのことになぞらえて、自分たち使徒のことを語っているのです。
 それほどの戦いとは、何でしょうか。罪との戦いのことです。しかし、罪と戦う力は私たちの中にはありません。罪と戦う力は、主イエス・キリストご自身の中にあるのです。主が共にいてくださる(インマヌエルの)恵みの中に、あらゆる罪に打ち勝つ力があるのです。その恵みに頼ることによって、使徒たちは罪と戦い、主に仕える生活に励もうとしているのです。
 しかし、そのことが生身の人間には難しいのです。主に頼るより、自分の力に頼りがちになるからです。主から離れた歩みになるのです。そのために、罪に従った無力な生活になりがちなのです。
それでも、使徒たる者、他に生きる道はありません。どんなに貧しい信仰生活であっても、主に頼ることによって罪と戦う生活を証しすることが求められているのです。そのことを、パウロは最後に引き出される死刑囚になぞらえて語っているのです。そういう使徒たちのたどたどしい信仰の戦いを、どうか安易に批判するのでなく、温かい祈りの気持をもって見守り、励ましてほしい、とパウロは語るのです。その信仰生活を全うするために、パウロは「キリストのために愚か者になる」(10節)と言っているのです。