メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙一」





 土台を据えた             第一コリント書3章10−15節

 「わたしは、・・・熟練した建築家のように土台を据えました」(10節)とパウロは語ります。
「土台を据える」とはどういうことでしょうか。「土台」とはイエス・キリストのことですから(11節)、主イエス・キリストを信じる間に、主イエス・キリストご自身が、信じる者の魂の「土台」となってくださる、ということです。パウロは深くキリストの救いに生かされた人ですので、「熟練した建築家のように」人の魂の内にキリストを土台として据えることができたのです。
 この土台の上に「金、銀、宝石、木、草、わらで家を建てる」(12節)とはどういうことでしょうか。主キリストを信じる者が、どれだけ自らの魂の内に土台として据えられているキリストに従って、日々をそして人生を生きたかによって、その生活と人生が神の御前に「金、銀、宝石、木、草、わら」であることが明らかになる、ということです。土台としてのキリストに従えば従うほど、その人の人生は、人間的には小さなものであっても、神の御前に「金、銀、宝石」のように、神の裁きの火に燃え尽きることのない価値あるものとなるのです。
 「その人は、火の中をくぐり抜けて来た者のように、救われます」(15節)とあります。その人の人生が、たとえ神の御前に「木、草、わら」のようなものであったとしても、その人自身は、その人の内に土台として据えられているキリストの故に、燃え尽きることがないというのです。キリストが土台として据えられることがどんなに有難いことであるかが分かるのです。