メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙一」





「成長させてくださる神」        第一コリント書3章1−10節

「霊の人に対するように語ることができず、肉の人、つまり、キリストとの関係では乳飲み子である人々に対するように語りました」(1節)とあります。「霊の人」とは、主キリストが生きて働き給うという信仰的認識に立って、その恵みの中で人間的な思い清められつつ物事を判断し行動できる人であるのに対して、「肉の人」とは、そのような信仰的認識に立てず、自分の人間的な肉の思いに支配されながら行動する信仰的に未熟な人、キリストとの関係で「乳飲み子」(赤ん坊)である人のことです。教会の交わりの中で「ねたみや争いが絶えない」のは、人々が「肉の人」として歩いているからではないか、とパウロは言うのです(3節)。
「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロにつく」という党派争いの特徴は、常に「私」が主張されていることです。信仰についても、教会についても常に「私の信仰」「私の教会」と言うのです。しかし信仰は、私がキリストを信じる間に、主キリストが聖霊によって私の中に生きてくださるのです。そのことが大切なのです。教会は、私の思いに適った、私が理想とする、私の居場所としての教会ではなく、主キリストが聖霊をもって生きて働き給う「キリストの体なる教会」なのです。それがキリストの教会なのです。
大切なのは、「成長させてくださる神」(7節)なのです。そして私たちは皆「神の畑」であり「神の建物」(9節)なのです。私の中にキリストが生きて働いてくださることよって、それぞれの賜物を生かしつつ「植える者」「水を注ぐ者」(8節)としてキリストの体なる教会の中に生かされていくのです。