メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙一」





「誇る者は主を誇れ」        第一コリント書1章26−31節

 「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケフェに」と主張し合う党派争いがコリント教会の中にありました。そのような党派争いは、信仰の怠慢からというより、信仰の熱心さから起こるものでした。しかし、どんなに信仰が熱心であっても、自分の正しさを誇り、相手を裁くことの中で、生ける主キリストとの霊の交わりから離れているなら、それは空しいことと言わざるを得ません。
 自分を正しいと主張し、相手を責める思いの中で、私たちは私たちの魂の中から主キリストを締め出しているのです。「神の聖霊を悲しませている」のです(エフェソ4章30節)。それなら、どんなに自分の正しさを誇っても、それは人間的な誇りでしかなく、まさにそのような思いが主イエスを拒み、十字架につけたことを知らなければならないのです。
 自分を誇りたい私たちです。自分の能力、家柄、業績、容姿、どんな小さなことでも誇らずにいられない私たちです。そういう私たちに対してパウロは「誇る者は主を誇れ」(31節)と言うのです。主イエスを誇るなら、どれだけ誇っても誇りすぎることはない、それこそ正しい誇りであると言うのです。
主イエスは、アッバ、父よと祈る間に、聖霊に満たされ、あらゆる人間的な罪の肉の働きから守られた清い歩みの中で、一人ひとりを真実に受け止めつつ、十字架の死を全うされ、罪の贖いを成就してくださいました。この主イエスが私と共にいて、私を罪の誘惑から守ってくださるのです。その恵みの尊さを私たちはどんなに誇っても誇り切ることはできないのです。