メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙一」





「十字架の言葉」         第一コリント書1章18−25節

 「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です」(18節)とあります。
 「十字架の言葉」とは、十字架の福音の言葉ということです。主イエスの十字架の出来事が、私たちすべての人間の罪の贖いの出来事であることを告げる福音の言葉です。その福音の事実を感謝をもって受け入れる者にとって、福音の言葉は本当に喜ばしい救いの力ですが、それを受け入れない者にとっては、何の力にもならない空しい言葉でしかないのです。
 どうしたら主イエスの十字架を喜ぶ者となることができるのでしょうか。それは、私たちが主イエスを十字架につける者であり、主イエスがその十字架を喜んで忍んでくださったことを知ることによるのではないでしょうか。
 主イエスは律法学者やファリサイ派の人々に対しても「罪の赦し」を語ったのです。しかし、彼らはそれに対して激しい怒りを覚えたのです。自分たちが神の御前に「罪人」とされることを受け入れることができなかったのです。激しい怒りが主イエスを十字架の死へと追いやったのです。しかし、主イエスはその十字架の死をどこまでも受け入れてくださったのです。
 自分が繰り返し主イエスを十字架につける者であり、主イエスがその十字架をどこまでも忍んでくださることによって、罪の贖いを全うしてくださり、私たちを主イエスの復活の永遠の命に生かしてくださることを知る者にとって、主イエスの十字架の福音は、限りなく尊いものであり、それこそが唯一の心の拠り所となり、生きる力となるのです。