メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙一」





「主にある一致に生きる」      第一コリント1章10−17節

 「『わたしはパウロにつく』『わたしはアポロに』『わたしはケフェに』『わたしはキリストに』などと言い合う」(12節)党派争いが、コリントの教会にありました。信仰の怠惰・不熱心の故ではなく、むしろ信仰の熱心さの故に、しかしまた信仰の未熟さの故に、そのような党派争いが生じたのです。自分たちが信頼する指導者の名を掲げることによって、自分たちの信仰の正しさを誇ったのです。
 「わたしはキリストにつく」とはどういうことでしょうか。どんな人間的な指導者に頼るのでもなく、ただキリストに頼るということなのでしょうが、当時のギリシャ・ローマ世界に流行したグノーシス主義的な神秘主義の影響が伺えます。ただキリストにつくという主張は、正しいように見えますが、自分たちの信仰の立場が正しく、他の信仰の立場が間違っていると主張するところに、党派的な誤りがあります。「キリストは幾つにも分けられる」(13節)ことがないばかりか、特定のグループ(宗派、教派)に所属することもないのです。
 主キリストは天におられ、神の自由な憐れみに従って、神の御前に自らの罪を言い表し、主キリストの十字架と復活の恵みにより頼む者の中に、聖霊によって働いてくださるのです。
十字架と復活に基づく主キリストの霊的臨在の恵みに生かされるところに、「勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合う」(10節)真実の教会の交わり・一致があるのです。