メッセージ  (説教より)
「コリントの信徒への手紙一」





「勝利する命」         コリントの信徒への手紙一15章50−58節

 主イエスが、神の御子メシアとして人間の救いの道を拓くために究極的に問われたことが、人間の最後の敵である死に勝利することでした。死に勝利するとは、死なないことではなく、死の絶対的な支配の結果である虚無と絶望に勝利することです。言い換えれば、死に直面して、虚無と絶望に陥ることなく、父なる神への信仰と人々への真実の愛と赦し、執り成しの祈りを持って十字架の死を受け抜くことです。
 主イエスはその試練に勝利されたのです。主イエスの十字架上の言葉、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカ福音書23章34節)、「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」(同46節)は、主イエスの「勝利」を意味しています。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」(マタイ福音書27章46節)のみが、不可解な言葉です。しかしこの言葉も、全く神に見捨てられた状況の中にあっても「わたしは父なる神を信じます」という究極的な信仰告白の言葉なのです。
 主イエスは信仰をもって死の世界、陰府にまで下られたのです。父なる神の愛のまなざしが陰府に横たわる主イエスの上に注がれたのです。三日目に、死が「全力で」主イエスを滅ぼし尽くそうとした時、神は全能の御力をもって死の支配を打ち破り、主イエスをよみがえらせて下さったのです。
 こうしてコリント一15章55節の言葉「死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。」が実現したのです。こうして主イエスによって、死の絶対性が打ち破られ、人間の救いの道が拓かれたのです。