メッセージ  (説教より)
「使徒言行録」






「エフェソの長老たちとの別れ」     使徒言行録20章17-38節

 エフェソの長老たちとのパウロの別れは大変感動的で、牧会者パウロの姿がよく現れています。
 「自分を全く取るに足りない者と思い(直訳:謙遜の限りを尽くして)、涙を流しながら、・・・主にお仕えしてきました。」(19節)
パウロはかつて、キリスト教徒迫害者でした。自分こそ律法に従う正しい者で、キリスト教徒は律法を軽んじる、神を冒瀆する者、と考えていたのです。そのパウロが、生ける主キリストに出会った時、そういう自分の思いこそまことに「肉の思い」(罪)であることを思い知らされたのです。
主キリストの救いに与って、自分の肉の思いが清められなければ、一歩たりとも正しく歩むことのできない自らであることを思い知らされたのです。その時パウロは、神の御前に謙遜な者とならざるを得なかったのです。そして、心砕かれ、謙遜な者となることが、主の救いに生きるただ一つの道であることを知らされたのです。
「どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。」(28節)
教会は、従順な小羊の群れです。その従順さを利用する誘惑が働くのです。その従順さが踏みにじられる危険があるのです。主の教会に仕える者(牧師、役員)は、一人ひとりが安心して主キリストへの従順に励み、豊かに、力強く主の救いに生きることができるように、気を配らなければならないのです。