メッセージ  (説教より)
「使徒言行録」






「エフェソ伝道」          使徒言行録18章24−19章10節

 エフェソで宣教活動を行っていたアポロという伝道者は、聖書に精通し、主イエスについて熱心に語り、正確に教えていたのですが、ヨハネの洗礼しか知りませんでした(25節)。またパウロが、エフェソで出会った何人かの信者に「信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか」と尋ねると、彼らはヨハネの洗礼は受けているが、聖霊については「聖霊があるかどうか、聞いたこともありません」(2節)と答えるのでした。
 エフェソでのこのような福音宣教を通して明らかにされたことは、主イエスを信じる信仰に入っても、聖霊がわからない、という事実があるということでした。そしてこのことは、私たち自身にも大変身近なそして切実な問題なのではないでしょうか。主イエスのことは、頭では理解できるが、「聖霊」のことになると、よくわからないという現実が、私たちにもあるのではないでしょうか。
 聖霊がわかる唯一の道は、「祈る」ことなのです。神の御前に、自分の貧しい罪の現実を言い表し、主イエス・キリストの十字架と復活による神の救いを心から祈り求める時、私たちは、「魚の代わりに蛇を与える」のではなく、求める者に分け隔てなく、豊かに「聖霊」を与えてくださる神(ルカ福音書11章13節)を、感謝と喜びのうちに味わい知ることができるのです。
 パウロはエフェソにおいて「神の国」について大胆に語りました(8節)。
「神の国」とは「教会」のことです。教会こそ、神の御子イエス・キリストが聖霊において救いの働きをしてくださる天上の世界、御国なのです。