メッセージ  (説教より)
「使徒言行録」






「ステファノの殉教」      使徒言行録6章8−15節

 キリスト教徒は、初め、神殿礼拝を否定しませんでした。朝夕エルサレム神殿で献げられる小羊の中に、主イエスの十字架の犠牲の死を覚え、むしろ深い喜びと感謝のうちに神殿礼拝に励んでいたのです(2章46節)。そのキリスト教徒の生活が、ステファノの殉教を契機に一変したのです。ステファノを通して、ユダヤ人とキリスト教徒の信仰の違いが明確になり、ユダヤ人たちはもはやキリスト教徒の信仰を許容することができなくなったのです。
 「最高法院の席に着いていた者は皆、ステファノに注目したが、その顔はさながら天使の顔のように見えた。」(15節)とあります。心の中で深く主を覚え、自らのすべてを主に委ねる。その信仰の中で、ステファノは心も体も主キリストの霊に支えられたのです。その恵みが「天使の顔」として表れたのです。主イエスの変貌(ルカ福音書9章29節)を思わされます。
 「かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。」(7章51節)とステファノは語りました。人々はこれを聞いて激しく怒り、ステファノめがけて石を投げつけたのです。人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて「イエスよ、わたしの霊をお受けください」と祈り、また「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と叫んで、眠りについたのです(7章54〜60節)。主イエスの十字架の死を思わせられるステファノの殉教の姿です。このステファノの殉教を契機にキリスト教徒への「大迫害」(8章1節)が起こり、キリスト教徒は神殿礼拝を離れ、主イエスを中心とする自分たちの礼拝生活に集中していくのです。